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日本神話雑感4;アマテラスの岩戸隠れは立冬の富士山だった

アマテラスの岩戸隠れは太陽が富士山に隠れる立冬、立春だった
 == 鹿島神宮~富士山レイラインからの考察・その1 ==


鹿島神宮~富士山レイライン
この図の説明は後述します。

みなさんこんにちは。
私は、先日のブログに「アマテラスの岩戸隠れは冬至だった」という主張をしましたが、早くも修正させていただきます(汗;)… といっても全訂正とか言うわけではなくて補足・補強修正的な意味合いですのでどうぞご容赦ご理解を。
今回の修正主張は、「アマテラスの岩戸隠れは太陽が富士山に隠れる立冬、立春だった」ということですが、順を追って説明させていただきます。
以前に、天津神の住む高天原が茨城県鹿島・神栖地方であったのではないかという東実説を以前のブログで紹介いたしましたが、今回もその説をベースに考えてみたいと思います。

〇前回説の欠点
「アマテラスの岩戸隠れは冬至だった」という主張をしたときには、太陽が昇るのが遅くかつ低くなる秋から冬にかけて、特に冬至のころに鹿島灘から東の海から昇る朝日に向かって祭祀をしたことが岩戸隠れ伝説の原形であろうという考えでした。これはこれでそれほど間違っていなかったと思うのですが、ただし、「アマテラスが岩戸に隠れる」という表現で伝えられていることに多少の違和感も感じていました。東の太平洋と「岩戸」というものがどうも馴染みにくい気がしていたのです。当たり前ですが、いくら地図上で太平洋を眺めても、ネット検索をして海岸の画像を探しても「岩戸」のモデルになりそうなものは見当たりません。結局、「岩戸」の正体は分からずじまいでした。
この時点では、鹿島や神栖地方は東の果てで鹿島灘に面しているという特徴があることから「東」の方向と「海」と「日の出」ばかりにこだわってしまい、「西」の方向も「山」も「日の入り」も全くノーマークだったのです。

〇鹿島神宮~富士山レイラインの調査1; 冬至の日の入り方向ではない
ところで、それらのブログを書くためにネットを調べていた際に鹿島神宮、富士山、皇居、伊勢神宮、諏訪大社などの位置を地図上で結ぶと直線関係や規則的な三角形ができるらしいことを知りました。面白そうなので改めて少し調べてみる気になりました。
その中でも最も有名なのは鹿島神宮~皇居~富士山~伊勢神宮を結ぶ直線関係で、レイラインと呼ぶらしいです。ここでは鹿島・富士レイラインと仮称します。伊勢神宮はアマテラスを祀っていることは有名ですね。(ただし、等方位地図で確認したところ、レイライン上にのるのは厳密には伊勢市というよりは隣の松阪市みたいですが)
まず、いろいろなHPの解説を読むと、鹿島神宮と富士山のちょうど中間には皇居があり、鹿島・富士レイライン上にはスカイツリーやその他メジャーな建築物・構造物がたくさん配置されているそうです。これらの建築物等については次回に改めて考えてみたいと思います。
多くのHPのでは、「鹿島・富士レイラインは冬至における日の入りの方角を向いている」と説明されています。これらの説明を読んだときは、「そうか、東ばかり考えていたけど「岩戸」とは冬至における西の富士山のことだったのだ! 日の入り時に太陽が富士山に隠れることこそ「岩戸隠れ」の正体に違いない!」と喜んでしまったのです。これなら、前回説がほぼそのまま正しかったことになり、補強根拠を発見したことになります。
ただ、念のために冬至(12月22日ころ)の日の入りの方角を調べてみると、冒頭の地図のように、鹿島神宮からみると富士山ではなくて小田原の方角になってしまいます。あれれ、だいぶずれている??? 多くの方が「鹿島・富士レイライン=冬至の日の入り方角」と指摘しているので、多少の誤差であれば信じてしまっても良かったのですが、あまりにもずれが大きい。ネットをみると、「Yahoo知恵袋」でただ一人だけ鹿島・富士レイラインと冬至の日の入り方向のずれを指摘している人がいましたが…。なぜこれほど単純なことを大多数の人は勘違いしているのでしょうか? なんとも不思議です。鹿島神宮の関係者の方々は分かっているのかもしれませんが。

〇鹿島神宮~富士山レイラインの調査2; 立冬、立春の日の入り方向だ
そこで、もう少し調べてみると、鹿島・富士レイラインの方角は、ちょうど立冬(11月7日ころ)および立春(2月4日ころ)で日の入りの方角にピッタリ一致することが分かりました。これだ!
つまり、こういうことだと思います。古代の人々は、秋から冬に向けて日が短くなることを心配して太陽に向かって祭祀を行ったのであって、それは冬至だけの短期間ではなくて、その前後比較的長期わたって行っていたのかもしれない。冬至になってから慌てて太陽に祈っても、「時すでに遅し」となっては困るでしょうから。
そうすると、いつ祭祀を始めて、いつまで続ければいいのでしょうか? 皆さんだったどう考えますか? 「そうだなぁ、それならばとりあえず冬の間やれば十分なんじゃないの」と考えるのが自然で妥当ではないでしょうか。そこで「冬の間」というのは、二十四節気に従って換言するならば「立冬」から「立春」までの約3か月間なのです。
古代の鹿島や神栖に住んでいた神々・人々は立冬になって太陽が富士山の頂に沈むようになるとアマテラスが「岩戸に隠れた」と考えて、太陽の勢いが回復するように祈ったり祭祀を行ったのだと思いますし、十分な効果が得られるためには比較的長期にわたって行うべく年明け後の立春まで続けたのではないでしょうか。そして立春になると太陽が再び富士山の頂に沈むようになり、春の到来が認識されて安堵し一連の祭祀を終えたと思います。
そして、鹿島神宮から見て「アマテラス=太陽」が隠れる「岩戸=富士山」の方向には、正にアマテラスを祀る伊勢神宮があるというのは非常に象徴的だと思います。これは、逆にいえば立夏(5月6日ころ)および立秋(8月7日ころ)には伊勢神宮から見て富士山&鹿島神宮の方向から日が昇るということにもなり、両神宮の結びつきの強さがうかがわれます。
鹿島神宮において、これらの立冬や立春の季節判断のためには、東の太平洋側で日の出を見ても何の目標物がなくて難しかったでしょうから、西の山々を見て、その中でも最も目立つ富士山を基準にして祭祀を開始し、そして終えたのでしょう。さらに、それにちょうどよい場所を選んで鹿島神宮を建てて太陽観測ベース基地としての機能も持たせていたのだと思うのです。
また、その間の祭祀はずっと同じことをしていたのではなく、例えば立冬からしばらくは準備的な軽いもので、日がもっとも短くなる冬至のころには一番盛大かつ真剣に祈りを捧げていたかもしれません。古事記にも、アマテラスが岩戸に隠れてから、アマテラスをおびき出す祭りを開催するまでにこまごまとした準備をすることが記されています。
鹿島神宮が立冬と立春だけではなくて、やはり冬至をも強く意識した作りになっている証拠については後述します。
さらには、古事記ではアマテラスが岩戸に隠れてから災いが起こったと記されていますが、古代の人々にとっての最も大きな災いとは作物が作れなくなることかもしれませんから、立冬のころから草木が枯れていくことによく符号すると思います。

〇鹿島神宮は太陽観測ベース基地だ。その参道はレイラインだった
さて、鹿島神宮が立冬と立春の季節判断をする太陽観測ベース基地の機能を持っていたとすると、その機能を示すものが境内にあるのではないでしょうか。そう思って調べてみると、やはりありました。下の境内の写真図を見てください。
鹿島神宮境内

普通の神社は本殿、参道及び大鳥居が南か東を向いていますが、鹿島神宮は大きくことなる構造をしています。本殿は北北西に向き、参道、楼門および大鳥居は西南西というなんとも中途半端な向きなのです。しかも、参道のうち大鳥居から楼門までの表参道と、楼門から奥宮へ至る奥参道とは境となる楼門の箇所で微妙かつ奇妙に折れ曲がっています。
地形的制約がなければ、参道は南あるいは東に向かってきれいな一本の直線にするはずなのに、南でもなく東でもなく南東でもなく、中途半端な向きでしかも屈曲している。なぜこのようなあまりにも不自然な構造なのでしょうか? 
写真図で明らかと思いますが、奥参道は立冬および立春における日の入り方向、つまり鹿島・富士レイラインにきれいに一致しており、換言すれば伊勢神宮に向いているのです。一方の表参道は、ちょっと分かりにくいのですが冬至における日の入り方向にほとんど一致しているようです。
このように、鹿島神宮は立冬、立春および冬至を強く意識した作りになっています。つまり、奥参道から見てその延長線上の富士山に太陽が沈むときが立冬または立春として認識され、表参道から見て大鳥居の先の延長線上に太陽が沈むときが冬至として認識されたのでしょう。当然、これらの時期には何らかの祭祀が行われたと考えられます。私は、それらの祭祀がアマテラスの岩戸隠れ伝説におけるアマテラスおびき出しイベントの原形になったと思うのです。

〇神無月について
旧暦で10月の「神無月」とは本来は「神の月」だという説があるようです。よく言われているのは、日本全国の神様が出雲大社に出かけてしまって地元を留守にするから「神がいなくなる月」で「神無月」と呼ばれるという説ですが、これは中世以降の俗説らしいです。私もそういう気がします。どうしてって、出雲大社が祀る大国主神は国譲りで隠居してしまったのですから、全国の神を呼び集めるような権限はないと思うのです。それに大国主神は、天津神よりランクが下位の国津神なのですから。
では、「神無月」が「神の月」だとすると、それはなぜでしょうか? この旧暦10月というのは「立冬」から始まる月でして、「神の月」と名づけられたのは岩戸隠れ伝説に関連しているような気もします。つまり、鹿島神宮から見て「アマテラス=太陽」が「岩戸=富士山」に隠れてしまい、日が短く弱くなる季節に、最高神のアマテラスを一層大事に祀らなければならないと強く意識をする月、という意味ではないでしょうか? うーん、ちょっと根拠が弱そうですね。ちがうかなぁ…

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