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スカイツリーに向いている多くの路線

スカイツリーに向いている多くの路線
 == 鹿島神宮~富士山レイラインからの考察・その8 ==


みなさんこんにちは。今回もご訪問ありがとうございます。
一連の鹿島・富士レイラインのトピックの8回目です。
3本線とスカイツリーその2

(図面は以前の図を流用・利用しまして、線や文字が重なり見づらくなってしまいました。)

〇スカイツリーに向いている路線
以前のブログでは、いくつもの路線の直線区間の延長方向がスカイツリーに至ることをご紹介しましたが、その後さらに4つほど見つけましたので追加報告させていただきます。赤字で示した4本が今回の追加分です。
・小田急線 喜多見~経堂 ;約9km
・西武新宿線 東伏見~都立家政 ;約7km
・中央線 立川~東中野 ;約25km
・東武東上線 東武練馬~中板橋 ;約3km
・京成押上線 京成立石~八広 ;約2km
・国道4号線 西保木間~梅田 ;約5km
・京浜東北線  王子~田端 ;3km
・東北本線   川口~浦和 ;8km
・半蔵門線   住吉~押上 ;3km
・都営新宿線  東大島~船堀 ;1.5km

なお、既出分も含めていくつかの路線は完全な直線ではなくても私の感覚で略直線とみなせるものは取り上げています。また、これ以外にもスカイツリーから放射状となる路線や道路はいくつかあったのですが、微妙に角度がずれていたり(例えば、国道246号の渋谷~三軒茶屋や高崎線の鴻巣~上尾)、あまりに離れていて関連付けるのが不適当と思われる路線(例えば、東武日光線の樅山~東武金崎)は除外しています。

〇半蔵門線について
半蔵門線はわずかにスカイツリーからずれているのですが、その真横まできれいな南北方向の直線区間が達して最寄り駅の一つ(押上駅)になっているので取り上げました。
しかし、「押上」という地名の由来は分かりませんが、天に向かって押し上がっていくようなイメージのスカイツリーには気味の悪いほどマッチしていますね。

〇都営新宿線について
都営新宿線東大島

都営新宿線の東大島~船堀間の直線は1.5kmと比較的短いのですが、取り上げました。
というのも、上図のようにこの区間の直線はスカイツリーから見て冬至の日の出方向とほぼ一致するのです。ちょっと不思議な感じです。
上図から分かるように、都営新宿線全線を眺めるとこの区間だけが不自然に屈曲しています。さては、スカイツリーから見た冬至の日の出を意識して意図的に曲げたのか、とも思いましたが、これは違うかもしれません。なぜなら都営新宿線は基本的には地下鉄で森下~東大島までは地下を直線状にまっすぐ東へ向かって走っています。それが荒川の地下をくぐることができなかったのでしょう、東大島より東側は地上路線となります。ところがそのまま真っ直ぐに東へ向かうには船堀橋がじゃまになり、仕方なく荒川を超えるまで南東へ向かう路線としたのでしょう。たぶんそういった偶然なのだとは思うのですが、結果としてスカイツリーから見た冬至の日の出方向になっています。


こうして見ると、朝の通勤時間帯にはものすごい数の人達が真っ直ぐにスカイツリーを目指して移動をしていることになるんですね。なんだか恐いような気もします。

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西武ドームはアクアラインの延長線上

西武ドームはアクアラインの延長線上

みなさんこんにちは。ご訪問ありがとうございます。
今回は一連の鹿島・富士レイラインにちょっと似てはいますが、レイラインとは無関係の話です。

西武ドーム~アクラライン


〇西武ドームはアクアラインの延長線上
ここ最近の一連の話では、東京近郊で鹿島・富士レイラインや東経139度38分線上にいろいろな施設があることをご紹介しましたが、それらの調査で地図を見ていると東京湾を横断する長い直線のアクアラインは否が応でも目につきます。1997年開通で海をつっきって川崎と木更津を接続する高速道路です。東京湾を横断する直線部分は約22kmほどあるようして、長い…、です。
それで、最近のクセで長い直線をみるとどうしても地図上で延長してみたくなってしまいます。地図上で北西延長線方向を眺めて「まさか、西武ドーム…」と思いましたが、そのまさかで上図のとおり西武ドームにピッタリと達してしまいました!
これはさすがに偶然だと思うのですけど、西武ファンの私としては何だかちょっと楽しくなってしまいました。
2012年ドラフト2位の相内誠選手は、入団前にこのアクアラインを無免許でかつ速度超過で捕まり摘発されてしまいましたが、まさかこのアクアラインが西武ドームを向いていると知っていて気が高ぶって無免許でスピードを出したという訳ではないのでしょうけど。相内選手はつい最近も未成年でありながら飲酒・喫煙をしていたとして球団から処分を受けています。情けない、、、

〇マリンスタジアムは首都高湾岸線の延長線上とニアミス
地図では東京湾にもう一本目立つ直線道路があります。東京湾の西側で首都高速湾岸線の大黒JCTから東扇島までの約11kmの直線です。これもかなり長いですね。千葉方向に向いているので、「もしや、マリンスタジアム…」と思って例のごとく延長線を描いてみましたが、図のとおり残念ながらマリンスタジアムとは少しだけずれていました。
参考までに、一応図に残しておきました。

最近、「まさか」ということが多くなってしまして、そろそろ「まさか」にも麻痺してきて「またか」になってしまいそうです。(^^;)

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東経139度38分線と鹿島神宮~富士山レイライン

東経139度38分線と鹿島神宮~富士山レイライン
 == 鹿島神宮~富士山レイラインからの考察・その6 ==


みなさんこんにちは。今回もご訪問ありがとうございます。
一連の鹿島・富士レイラインのトピックの7回目です。
3本線とスカイツリー



〇東経139度38分線とレイライン等との交点:経堂駅、都立家政駅
前回のブログでは、東経139度38分線上に数多くのプロスポーツ施設、娯楽施設および官公庁施設が存在することをご紹介しました。
ところで、話の発端となった鹿島・富士レイラインはこの東経139度38分線と関連はあるのでしょうか? また、以前のブログでご紹介した、レイラインに対して経度線を基準として線対照な第二ライン(分かりやすく西武・ロッテラインと呼ぶことにします。)との関連はあるのでしょうか。
そこで、東経139度38分線と鹿島・富士レイラインおよび西武・ロッテラインとの交点を調べてみると、前者との交点は小田急線の経堂駅付近で、後者との交点は西武新宿線の都立家政駅付近であってともに目立つ施設はありませんでした。
ところが、以前のブログでご紹介したように、小田急線の喜多見~経堂までの約9kmの直線区間は、鹿島・富士レイラインと完全に一致してスカイツリーを指向していて、一方、西武新宿線の長い直線区間(東伏見~都立家政までの約7km(厳密にはいくつかの緩いカーブもありますが))も延長方向がスカイツリーに至ります。(図では直線区間を青、延長線を水色で表します)
つまり、冒頭の図からもお分かりいただけるように、これらのスカイツリーを指向する路線の直線区間端部(経堂駅および都立家政駅)が東経139度38分線にちょうど当たっていました。何とも不思議です。
また、これも以前のブログでご紹介したように、京王線の下高井戸~初台までの約6kmの直線区間はレイラインからは少しずれているのですが、その向きはレイラインに完全に一致しています。この起点となる下高井戸駅もちょうど東経139度38分線上にありました。さらに、小田急線の直線区間終点の経堂駅と京王線直線区間始点の下高井戸駅とのギャップをつなぐように東急世田谷線が走っています。この東急世田谷線(路面電車)は下高井戸駅から東経139度38分線上を南下して、途中からずれてしまって厳密には経堂駅には達していないのですが、どうしても意味ありげな経路に見受けられます。
そもそも、この世田谷線という路面電車はあまり需要が多いと思えない半端な場所に無理に敷設したように見受けられるのですが、まさかこのことが存在理由だったということはあり得るでしょうか。考えすぎですかね。

〇東京スカイツリーを指向する他の路線
小田急線や西武新宿線だけでなく、やはり以前にご紹介したように中央線もその長い直線区間(立川~東中野までの約25km)がスカイツリーを指向していました。中央線に関してはその直線区間は東経139度38分線で終わらず、そのまま東中野まで延伸しています。
ところで、今回地図を見直していたところ、スカイツリーに至るさらに3つの直線を見つけました。上図にも示しましたが既出のものとまとめて整理して6つの直線を表わしておきます。
・小田急線 喜多見~経堂 ;約9km
・西武新宿線 東伏見~都立家政 ;約7km
・中央線 立川~東中野 ;約25km
・東武東上線 東武練馬~中板橋 ;約3km
・京成押上線 京成立石~八広 ;約2km
・国道4号線 西保木間~梅田 ;約5km
ひとつふたつならば偶然ということもあるでしょうが、これだけそろうと意図的なものを感じます。これらの直線は、図からお分かりのとおりその全路線の中でも最も長くて目立つ区間になっています。
東京の中心点といえば皇居か日本橋あたりであって、その辺りに向かって放射状になっているのならばある程度必然的なものとも考えられますが、なぜ最近できたばかりのスカイツリーに向かってこれだけの直線が集中的に指向しているのでしょうか? 不思議でなりません。
今回も都市伝説的な話になってしまいましたが、多少の誤差はあるにしても、全て一目瞭然の事実なのです。


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神話9;東経139度38分上の施設

東経139度38分上の施設
 == 鹿島神宮~富士山レイラインからの考察・その6 ==


みなさんこんにちは。今回もご訪問ありがとうございます。
一連の鹿島・富士レイライン(仮称)のトピックの6回目です。といっても話は鹿島・富士レイラインからはだいぶずれてきてしまってますが。
東経139度スポーツ施設


〇スポーツ施設ついて
以前のブログでは、東京近郊のスポーツ・娯楽施設がレイライン上か、または皇居を中心として経度線を基準として線対照な第二ライン上に多く配置されていることをご紹介しました。
これらの線上には不思議なことに東京ドーム(巨人)、神宮球場(ヤクルト)、西武ドーム(西武)、マリンスタジアム(ロッテ)、読売ランド球場(巨人二軍)、鎌ヶ谷球場(日ハム二軍)というようにプロ野球関連の球場が多く存在していました。
この調査をしているときに、それ以外の在関東の球団のホーム球場および二軍球場についても気にはなったいたのです。つまり、横浜球場(ベイスターズ)、戸田球場(ヤクルト二軍)や浦和球場(ロッテ二軍)などですが、さすがに関東のプロ球場の全部がなんらかの線上に乗ることはないであろうとあまり深くは調べなかったのです。
ところが、その後また地図を眺めていると、ふと不思議なことに気付いてしまいました。
冒頭の図をご覧ください。
プロ野球施設に限らず、以前のブログでは取り上げなかった東京近郊の主要なスポーツ施設がほとんど東経139度38分の線上に乗っていたのです! 
特に、関東のプロ野球チームのホーム球場と二軍球場は全て以前のブログで紹介した2つの線と、今回の東経139度38分線上のいずれかに存在することになります。
これって何でしょうか? とても偶然とは思えません。

〇娯楽施設・官公庁施設等ついて
さらに、この線上にはスポーツ施設だけではなく多くの娯楽施設や官公庁施設などが集中しています。次の図をご覧ください。
東経139度その他の施設


これを見ると娯楽施設、巨大団地、巨大工場のように人が集まる施設が集中していると思います。
埼玉県庁と神奈川県庁までそろって線上にあって、偶然ではないはずです。
また、鹿島・富士レイライン上のスカイツリーに対応するかのごとく、この線上には日本一の高さの高層ビルである横浜ランドマークタワーが存在するということが印象的です。



今回も都市伝説っぽい話になりましたが、全てきわめて単純な事実なのです。
以下に、東経139度38分線上で特徴的と思われる施設をリストアップしました。有名施設が多いのであまり説明もいらないかと思いますが念のため。東経値についても調べられたものは併記しました。
もう少し北方ですけど日光東照宮(東経139度35分56秒)もだいたいこの線上にあるみたいです。また、図示しませんでしたがこの他に富士通本社工場、駒澤大学、国士舘大学、東京都市大学(旧武蔵工業大学)、明治大学、慶応義塾大学などがあります。
さらに、ここに列挙した施設は埼玉県と神奈川県に多く、都内であっても県境に近いところがほとんどという特徴があります。



東経139度38分線上の特徴的建造物・施設
◇プロスポーツ・オリンピック施設

・大宮競輪場(東経139度37分55秒)
・県営大宮球場(東経139度38分0秒) ;NPB西武ライオンズ公式戦球場
・NACK5スタジアム(東経139度38分0秒) ;Jリーグ大宮アルディージャ
・埼玉スーパーアリーナ(東経139度37分50秒) ;各種プロスポーツイベント
・ロッテ浦和球場(東経139度38分59秒) ;NPBロッテマリーンズ二軍球場
・ヤクルト戸田球場(東経139度38分2秒) ;NPBヤクルトスワローズ二軍球場
・馬事公苑(東経139度38分2秒) ;1964年オリンピック施設
・駒沢オリンピック公園総合競技場(東経139度39分49秒) ;1964年オリンピック施設
・等々力競技場(東経139度39分9秒) ;Jリーグ川崎フロンターレ、野球場、テニスコート、アリーナ、ミュージアム
・横浜スタジアム(東経139度38分24秒) ;NPB横浜DeNAベイスターズホーム
・横浜アリーナ(東経139度37分12秒) ;各種プロスポーツイベント
・横浜国際総合競技場・日産スタジアム(東経139度36分22秒) ;Jリーグ横浜マリノス
・横浜ベイスターズ総合練習場 ;NPB横浜ベイスターズ二軍球場

◇アマチュアスポーツ施設
・大和田公園・大宮第2公園(東経139度38分26秒) ;市営球場、軟式野球場、テニスコート
・埼玉県営大宮公園水泳場
・埼玉県営大宮公園体育館
・埼玉県営大宮公園弓道場
・光が丘公園(東経139度37分45秒) ;野球場(4面)、陸上競技場、テニスコート、ゲートボール場、少年サッカー場、弓道場
・和田堀公園 ;野球場、テニスコート、陸上競技場
・済美山運動場 ;陸上競技場

◇官公庁
・さいたま新都心合同庁舎 ;法務省、厚生労働省、財務省、警察庁、防衛省、総務省、農林水産省、経済産業省 、国土交通省、環境省および人事院が入る2練の巨大ビル
・埼玉県浦和地方合同庁舎
・埼玉県庁(東経139度38分55秒)
・神奈川県庁(東経139度38分32秒)
・横須賀米軍基地 ;米国第7艦隊母港
・海上自衛隊基地
・横須賀港湾合同庁舎

◇娯楽施設・他
・大宮公園小動物園(東経139度37分56秒)
・高島平団地 ;巨大団地
・光が丘団地 ;巨大団地
・豊島園 ;メジャー遊園地
・野毛山動物園(東経139度37分21秒)
・横浜コスモワールド(東経139度38分12秒) ;遊園地
・横浜みなとみらい21臨港パーク(東経139度38分14秒)
・横浜ランドマークタワー(東経139度37分54秒) ;日本一の超高層ビル

・八景島シーパラダイス(東経139度38分40秒) ;メジャー遊園地
・日産追浜工場(東経139度38分40秒) ;日産の主力巨大工場



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神話8;戸隠神社も太陽観測施設だ

戸隠神社も太陽観測施設だ
 == 鹿島神宮~富士山レイラインからの考察・その5 ==


みなさんこんにちは。
一連の鹿島・富士レイライン(仮称)のトピックは前回で一段落にするつもりだったのですが、気が変わり(汗;)続編の5回目です。
戸隠~鹿島~富士山


私は、以前のブログと、そのあとのブログで、鹿島神宮と富士山とを結ぶ鹿島・富士レイライン(仮称)が立冬および立春における日の入り方向であることから、アマテラスの岩戸隠れ伝説は立冬、立春における太陽が富士山の頂部に沈むことを表しているという意見を述べました。今回は、さらにその拡張版ともいえる考えについて述べさせてもらいます。

〇戸隠神社について
私は数年前に長野に旅行に行ったとき、地元に住む知人に戸隠そばを是非食べるべきだと勧められて当初の旅程にはなかった戸隠神社のすぐ横まで行ったことがあります。
戸隠神社は、実際はお互いに離れた奥社・中社・ 宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社から成り立っています。当時神社などに興味のなかった私は中社の近くで戸隠そばを食べ、そのまま参拝もせずに次の目的地へ行ってしまったのでしたが、今思うと中社と奥社だけでも参拝するべきだったと後悔してます。もっとも、メインの奥社の参道は、片道2kmの山道なのでかなり大変なのですが。
ところで、皆さんは「戸隠」という一風変わった名前から何を連想しますか?
そうですよね、アマテラスの「岩戸隠れ」との関連が考えられます。ネットで調べてみるとやはり関連があるようでして、岩戸に隠れたアマテラスを外に引き出したアメノタヂカラオがその岩を放り投げて落ちてできたのが戸隠山だという伝説があるそうです。もっとも、古事記、日本書紀にはアメノタヂカラオが岩を投げたという記載はなく、後世に作られた話のようです。
奥社はアメノタヂカラオ、火之御子社はアメノウズメ、中社はオモイカネという岩戸隠れ伝説で活躍をした神々が祀られています。
では、なぜ岩戸隠れ伝説を想起させる神社が長野の山奥にあるのでしょうか?
私の以前のブログで紹介した考えでは、岩戸隠れとは鹿島神宮から見て立冬に太陽が富士山の位置に沈むことに基づいているはずなのですが、茨城の鹿島神宮と長野の戸隠神社とではあまりに離れていて、関係が見いだせず不思議に感じていました。
改めて関東・甲信地方の地図を眺めてみますと、戸隠神社は鹿島神宮の西北西方向にあります。 えっ? 西北西?? と思って調べてみるとカンは当たりました。冒頭の図を見てください。
戸隠神社から見て、立冬および立春における日の出方向を延長するとほぼ鹿島神宮に達するのです。「戸隠~鹿島レイライン」と図示した紫色の線です。
逆に言えば、鹿島神宮から見て戸隠神社は立夏、立秋における日の入り方向になります。やはり、戸隠神社と鹿島神宮は関連がありそうです。

〇それでも、なぜ長野の山奥なの?
でも、戸隠神社から鹿島神宮までは約200kmほどあります。単に戸隠~鹿島レイライン上に神社を設けるというのなら、何もそれほど離れた場所にしなくても良さそうなものですが、なぜなのでしょうか?
そこで、戸隠神社についてさらに調べてみますと、メインとなる奥社の参道が特徴的で気になります。次の図を見てください。
戸隠高原地図2


奥社の参道は、先ほども紹介したように2kmという長い参道で、しかも入口から本殿近くまでずーっと直線なのです。これほど長い直線の参道は日本最長クラスでしょう。さらに、その参道は一般的な南向きではなく南東の中途半端な方向を向いています。極端に長い直線、中途半端な向き、これはかなり怪しいです。
長い長い参道は、調べると冬至における日の出方向になっていました。しかも、その延長線は5kmほど離れた怪無山( けなしやま、1549m )の頂上に達します! つまり、古代の人は奥参道の直線路から南東側を観察して、怪無山の頂上から日が昇るときに冬至であることを認識したのでしょう。
鹿島神宮でも、似たようにかなり長い奥参道が立冬、立春における日の入り方向に一致していました。戸隠神社も鹿島神宮と同じように、季節の変化を観測するための太陽観測基地の役割があったのでしょう。

〇奥社参道の直線路端から見た南東側稜線
平面図では日の出のイメージがつかみにくいと思いますので、奥社参道の直線路端から見た南東側稜線の図を作成してみましたので参照してください。
戸隠神社参道端から見る南東稜線図
(カシミールというフリーソフトで自動作成できるらしいのですが使い方が分からない(TT)。仕方ないので地図で等高線と距離を読んでエクセルでシコシコ作成しました…。 日の出位置については、山の高さを無視して簡略化してます。)

この図から分かるように、冬至の日の出は怪無山頂上から上がるので分かりやすいのですが、それだけではなく立冬および立春には瑪瑙山(めのうやま、1748m )頂上付近から日が昇り、寒露および啓蟄には高デッキ山(1717m)頂上付近から日が昇りますので、これらの季節の観測にも便利だったと思います。
すなわち、南東稜線が季節の「目盛り線」の役割を果たせるのです。また、高デッキ山よりも東側には高い山がなく、寒露(10月8日ころ)になって秋の気配が感じられると、日の出が山に遮られるようになり、正にアマテラス(=太陽)が岩戸(=山並)に隠れることになり、「岩戸隠れ」の現象が観察されたことでしょう。
さらには、戸隠神社奥社は標高1300mほどの高い場所にあるとともに怪無山、瑪瑙山、高デッキ山との間には鳥居川が流れていて比較的深い谷を形成してますので、視界を遮る障害物がなくて、南東側の山並みを観察するのには絶好のポイントです。怪無山、瑪瑙山の北西面は戸隠スキー場になっているように、長く緩やかな傾斜面は対岸の奥社側から見やすいでしょう。しかも怪無山、瑪瑙山、高デッキ山までは約5kmという適度な距離であるし、これらの山々は日の出を観測するのに適度な標高です。
このようなことから、冬場には積雪が深いというデメリットもありますが、この場所が秋~冬の日の出位置観測場所に選ばれて奥社が設けられたのだと思います。
中社が怪無山の山麓に存在することも何か意味がありそうな気がします。冬至のころには、中社から神官が怪無山頂上に登って奥社の観察者と合図を送りあったりしたのではないでしょうか。

〇鹿島神宮における観測だけでは足りないのか
さて、このように戸隠神社が立冬や冬至などを日の出位置によって観測する施設の役割を持っていたことはほぼ間違いないと思うのですが、以前に紹介したように鹿島神宮も同様の機能を持っていたと考えられます。鹿島神宮における観測だけでは足りないのでしょうか?
ここからは確証のない推論になりますが、鹿島神宮では太陽が富士山の頂に沈む時期を立冬、立春として認識できたはずですが、次のような不都合もあったのではないでしょうか。

不都合1:富士山は日本最高峰とはいえ、鹿島神宮からは180kmあって見かけ高さが低すぎて観測用目印に適さない。
不都合2:鹿島神宮では富士山を利用して立冬、立春を認識することはできたが、最も日が短くなる冬至の観測には不向きであった。
不都合3:鹿島神宮では「日の入り」位置に基づいて季節の認識をするが、太陽信仰という観点からは西の「日の入り」よりも東の「日の出」のほうが太陽誕生のイメージから有難みがあって、できれば「日の出」に基づく観測をしたい。
不都合4:東実説(以前のブログ参照)によれば国津神の住む葦原中国は西日本であったのに対し、天津神の住む高天原は東日本であったといいます。
鹿島神宮での季節の観測結果は東日本に住む天津神に公表したことでしょう。しかし、東日本といっても広く、信越地方もその支配下であったとすれば鹿島神宮からは遠くて情報伝達が遅くなります。そこで、長野あたりにも第2観測基地が必要になったのでは?

このうち、不都合1についてはもっと富士山の近くに行って観測をすれば足りることになります。そこで気になるのが鹿島神宮~富士山レイライン上で相模原にある「鹿島神社」です。冒頭の図をもう一度参照してください。この鹿島神社の由来は分かりませんが、鹿島神宮から富士山までのちょうど2:1の地点にあり偶然の配置とは思えません。この場所ならば富士山はかなり大きく見えますので観測に不便はないでしょう。なお、この鹿島神社は現在は米軍基地内にあって、一般人は入ることができないはずです。
不都合1については、相模原の鹿島神社で補うことができたとしても、依然として不都合2~4については解消されず、それゆえそれらを補うために長野の戸隠の地が選ばれ、両者は連携しながら観測をしたのではないでしょうか。


 今回も勝手な想像の話を書かせてもらいましたが、戸隠神社という存在に対してさらに興味を持ちましたので少し本など読んでみようかと思います。また、機会があれば戸隠神社を再訪したいです。
知人に勧められて中社の近くで食べた戸隠そばと舞茸天は絶品でしたからまた食べてみたいですね。

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