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5本目のラインは阿久留王伝説の白鳥神社に

5本目のラインは阿久留王伝説の白鳥神社に
 == 鹿島神宮~富士山レイラインからの考察・その16 ==

みなさんこんにちは。ご訪問ありがとうございます。
一連の鹿島・富士レイラインのトピックの16回目です。
南関東5本線―白鳥神社(黄色)
(当ブログは画像だけの閲覧も歓迎します)

〇5本目のラインは阿久留王伝説の白鳥神社に至る
前々回のブログでは甲武信岳~横浜を結ぶラインがちょうど冬至の日の出方向に一致し、しかも途中に鹿島神社や多摩天皇陵があることをご紹介しました。
その際、横浜は3本のラインの交点という特徴的ポイントであると考えられて、海辺であることからもラインの終点であるようなイメージをもってしまっていました。ところが、これをさらに房総半島方面へ延長してみると阿久留王伝説がある鹿野山の白鳥神社に至ることが分かりました。
このことは偶然かもしれないのですが、阿久留王伝説には少し興味を持っていまして奇縁を感じてご紹介させてもらいます。古事記・日本書紀には残念ながら明記されていませんが、関東地方には珍しいほどの古い伝承のようです。余談ですが、古事記・日本書紀は関東・東北地方を軽視というか、意識的に極力除外しているように思えます。

〇阿久留王伝説について
まずは古事記の話です。西日本を平定した後、東征に出たヤマトタケルは東海道に沿って進軍し、東京湾南部の浦賀水道あたりで大しけに遭いながら苦労して木更津へ渡海します。そして上総から北へ向かい蝦夷、武蔵、甲斐、信濃などを平定しますが、大和へ帰る途中の伊勢の付近で力尽きて亡くなってしまいます。そして亡くなったヤマトタケルは白鳥へと姿を変えて西へ向かって飛び去ったのでした。
古事記では、浦賀水道で大しけに遭ったときのエピソードは記載されていますが、その後の各地の平定の実態についてはほとんど記されていません。しかしながら伝承によれば、房総へ渡ってすぐに地元を支配していた阿久留王(または悪路王)との戦いでは鹿野山周辺で激戦が繰り広げられてヤマトタケルも相当てこずったそうです。善戦およばず敗北した阿久留王は泣いて命乞いをしたそうですが、ヤマトタケルは聞き入れずに決して蘇生できないようにと阿久留王を八つ裂きにしてばらばらに埋葬してしまいました。それゆえ、阿久留王の墓は首塚、胴塚など複数に分かれているのです。(阿久留王は坂上田村麻呂によって討伐されたという説もあるようです)
阿久留王は「ヤマトにまつろわぬ民」の代表的存在とみなされていて、阿久留王の首像(江戸時代作?)は鹿島神宮に保存・展示されています。
ヤマトタケルは一般的に日本神話における英雄とされていますが、古事記を読まれた方はご存知でしょうが、実際には残虐で卑劣な人格の持ち主であって父親の景行天皇からも疎んじられていました。それもあって、私は阿久留王に同情してしまうのです。
また、古事記ではヤマトタケルは亡くなってから白鳥になって西へ向かったとされていますが、房総の伝承ではその時期に鹿野山にヤマトタケルとみられる白鳥が飛来したと伝わっていて、それでヤマトタケルを祀る白鳥神社が建てられたようです。白鳥神社が祀っているのは阿久留王ではなくてヤマトタケルなのですね。


今日はひな祭り。午前中は日も差して小春日和になりましたね。春といえば、花粉……
すでに目がかゆいです。外から帰宅したら手洗いをする方も多いと思いますが、この時期の私の場合は手洗いよりも「目洗い、鼻洗い」なのです。
しばらくの間辛抱が続きます(TT)

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