
弦楽器は三種の神器
ご訪問ありがとうございます。
ウクレレの話題が続きました。ウクレレは弦楽器ですが、この弦楽器は日本神話における三種の神器の一つだということはご存知でしょうか?
三種の神器と言えば普通は「やたの鏡・草薙の剣・やさかの勾玉」ですよね。これらは天皇の皇位の象徴で、やたの鏡は伊勢神宮に、草薙の剣は熱田神宮に、やさかの勾玉は皇居に保管されているということは日本人の常識だと思います。
これらは初代神武天皇の三代前のニニギノミコトが高天原から中津国(この地上世界)に降臨する際に祖母のアマテラスから譲り受けたもので天津神の象徴として代々天皇家に伝承されてきた、ということになってます。もっともその間にオリジナルは消失しているようですが。
便宜上、これを「天津神系三種の神器」と呼びましょう。
アマテラスは天上界を統べる最高神でスサノオの姉です。スサノオもアマテラスと同様に極めて高貴な神(三貴神)であって根之堅洲国(ねのかたすくに)を統治していました。根之堅洲国とはいくつかの説がありますが、簡単には堅い根の張っている地底世界とイメージしてください。
つまり、天上世界のアマテラス系の天津神と、この地上世界の国津神と、それ以外に地底世界のスサノオ系の神が存在すると考えることができるかもしれません。ここだけの私の勝手な分類ですが。
さて、日本神話には上記の「天津神系三種の神器」とは別種の三種の神器が記されているのです。
天津神のニニギノミコトが天上界から降臨してくるまではこの地上世界(葦原中津国)はずっと国津神である大国主神が統治していましたが、天津神に統治権を譲ったのでした。天上界から降臨したニニギノミコトは天津神系三種の神器を携えてきましたが、実質的に降伏した側の大国主神も「国津神系三種の神器」とも呼べる3つのアイテムを持っていたのです。
それは大国主神がまだ若いとき、根之堅洲国に行ってスサノオの娘のスセリビメと結婚し、地上世界にもどっく来るときにスサノオから譲り受けた「生太刀、生弓矢、天の沼琴」です。便宜上これを「国津神系三種の神器」と呼びますが、「根の国系三種の神器」とも呼べるかもしれません。
大国主神は元々は優しい性格ながらも周りの強い男神達からいじめられ、いつも女神達から助けられている弱々しい神でした(大国主神の前半生はキリストに似ていると思っています。ご興味あればこちら(http://parmesan111.blog.fc2.com/blog-entry-43.html)をご覧ください)。それが、この国津神系三種の神器を得てからは強い神に変身し、この地上世界を平定し統治することに成功したのでした。
簡単にまとめますと、
天津神系三種の神器は、天上界のアマテラスから、孫のニニギノミコトが譲り受けた、正統な地上界統治委任証明で、
国津神系三種の神器は、地底界のスサノオから、娘婿の大国主神が譲り受けた、正統な地上界統治委任証明、
と言えそうです。天上界と地底界に分かれた姉弟のそれぞれの委任代行者がこの地上界でガチンコにぶつかったのです(いわゆる「国譲り」をこのように姉と弟との対立として整理して把握している人は意外と少ないかもしれません)。
そして結局は天上界派がこの地上世界を治めることになり、「鏡、剣、勾玉」は天皇家のシンボルとなるのに、「太刀、弓矢、琴」は半ば忘れ去られるのです。
もっとも、天津神系三種の神器のうち「草薙の剣」は、元をただせば地底世界のスサノオの所有物だったというのは少し不思議な感じもしますし、国津神系の三種の神器のうち「天の沼琴」は地底ではなく「天の」アイテムのようです。ですから、二系統の三種の神器の存在を天と地との完全な対決構造とは捉えない方がいいのかもしれません。やはり神話は難しいですね。
天津神系と国津神系の三種の神器で「剣」と「太刀」はほぼ同じものなのに、他の「鏡、勾玉」と「弓矢、琴」は全く違うというのも興味深いですし、この相違点において前者は女性の装身具系アイテムであるというのも面白いと思います。
また、剣、太刀、弓矢といった武具が目立ちますがこれらは攻撃用であって、鎧や盾などの防御用はないのですね。
「天の沼琴」ですが、竹田恒秦氏によればこれはお告げをするときに使うもので宗教的権威を象徴するものだいとうことです。「沼琴」というのは意味がよくわかりませんが、「琴」つまり弦楽器であることは確かでしょう。
さきほど、「天の沼琴」は「天の」アイテムだろうと述べましたが、「沼」というのは地底への入り口をイメージさせますね。う~ん、分からんです。
「鏡」というのは古代日本における祭祀の象徴的かつ中心的アイテムだったようですが、鏡の登場以前は「銅鐸」がその役割を担っていたという説があります。銅鐸は古代文献に何の説明もない謎の物品ですが、元々はハンドベルがオリジナル品だったというのは通説のようです(先日、淡路島で銅鐸が発見されましたが内部には音を鳴らすための「舌(ぜつ=振り子)」が入っていました。舌が入った状態の銅鐸が確認されたのは全国で初めてだということで、銅鐸が元々ハンドベルだったということはほぼ確実になりました)。
ハンドベルは原始的楽器と言えると思いますが、国津神系三種の神器の一つにもやはり楽器としての「沼琴」が入っているというのは、古代に楽器全般が神聖視されていたということでしょうか。
太古の昔、我が国では楽器つまり「音」というものが神秘的なものと考えられていたのかもしれません。
もっとも、平成の現代人の私であっても楽器の「音」というものは神秘的に艶美的に感じられることがあります。
ということで、皆さんも日本人ならば神聖なる楽器を弾いて、神秘的な音を楽しんでみてください。それこそ「音楽」です。
それで、具体的楽器としては「沼琴」と同属の弦楽器で手軽なウクレレをおすすめします!
え? やっぱり話が強引かなぁ…
ご訪問ありがとうございます。
ウクレレの話題が続きました。ウクレレは弦楽器ですが、この弦楽器は日本神話における三種の神器の一つだということはご存知でしょうか?
三種の神器と言えば普通は「やたの鏡・草薙の剣・やさかの勾玉」ですよね。これらは天皇の皇位の象徴で、やたの鏡は伊勢神宮に、草薙の剣は熱田神宮に、やさかの勾玉は皇居に保管されているということは日本人の常識だと思います。
これらは初代神武天皇の三代前のニニギノミコトが高天原から中津国(この地上世界)に降臨する際に祖母のアマテラスから譲り受けたもので天津神の象徴として代々天皇家に伝承されてきた、ということになってます。もっともその間にオリジナルは消失しているようですが。
便宜上、これを「天津神系三種の神器」と呼びましょう。
アマテラスは天上界を統べる最高神でスサノオの姉です。スサノオもアマテラスと同様に極めて高貴な神(三貴神)であって根之堅洲国(ねのかたすくに)を統治していました。根之堅洲国とはいくつかの説がありますが、簡単には堅い根の張っている地底世界とイメージしてください。
つまり、天上世界のアマテラス系の天津神と、この地上世界の国津神と、それ以外に地底世界のスサノオ系の神が存在すると考えることができるかもしれません。ここだけの私の勝手な分類ですが。
さて、日本神話には上記の「天津神系三種の神器」とは別種の三種の神器が記されているのです。
天津神のニニギノミコトが天上界から降臨してくるまではこの地上世界(葦原中津国)はずっと国津神である大国主神が統治していましたが、天津神に統治権を譲ったのでした。天上界から降臨したニニギノミコトは天津神系三種の神器を携えてきましたが、実質的に降伏した側の大国主神も「国津神系三種の神器」とも呼べる3つのアイテムを持っていたのです。
それは大国主神がまだ若いとき、根之堅洲国に行ってスサノオの娘のスセリビメと結婚し、地上世界にもどっく来るときにスサノオから譲り受けた「生太刀、生弓矢、天の沼琴」です。便宜上これを「国津神系三種の神器」と呼びますが、「根の国系三種の神器」とも呼べるかもしれません。
大国主神は元々は優しい性格ながらも周りの強い男神達からいじめられ、いつも女神達から助けられている弱々しい神でした(大国主神の前半生はキリストに似ていると思っています。ご興味あればこちら(http://parmesan111.blog.fc2.com/blog-entry-43.html)をご覧ください)。それが、この国津神系三種の神器を得てからは強い神に変身し、この地上世界を平定し統治することに成功したのでした。
簡単にまとめますと、
天津神系三種の神器は、天上界のアマテラスから、孫のニニギノミコトが譲り受けた、正統な地上界統治委任証明で、
国津神系三種の神器は、地底界のスサノオから、娘婿の大国主神が譲り受けた、正統な地上界統治委任証明、
と言えそうです。天上界と地底界に分かれた姉弟のそれぞれの委任代行者がこの地上界でガチンコにぶつかったのです(いわゆる「国譲り」をこのように姉と弟との対立として整理して把握している人は意外と少ないかもしれません)。
そして結局は天上界派がこの地上世界を治めることになり、「鏡、剣、勾玉」は天皇家のシンボルとなるのに、「太刀、弓矢、琴」は半ば忘れ去られるのです。
もっとも、天津神系三種の神器のうち「草薙の剣」は、元をただせば地底世界のスサノオの所有物だったというのは少し不思議な感じもしますし、国津神系の三種の神器のうち「天の沼琴」は地底ではなく「天の」アイテムのようです。ですから、二系統の三種の神器の存在を天と地との完全な対決構造とは捉えない方がいいのかもしれません。やはり神話は難しいですね。
天津神系と国津神系の三種の神器で「剣」と「太刀」はほぼ同じものなのに、他の「鏡、勾玉」と「弓矢、琴」は全く違うというのも興味深いですし、この相違点において前者は女性の装身具系アイテムであるというのも面白いと思います。
また、剣、太刀、弓矢といった武具が目立ちますがこれらは攻撃用であって、鎧や盾などの防御用はないのですね。
「天の沼琴」ですが、竹田恒秦氏によればこれはお告げをするときに使うもので宗教的権威を象徴するものだいとうことです。「沼琴」というのは意味がよくわかりませんが、「琴」つまり弦楽器であることは確かでしょう。
さきほど、「天の沼琴」は「天の」アイテムだろうと述べましたが、「沼」というのは地底への入り口をイメージさせますね。う~ん、分からんです。
「鏡」というのは古代日本における祭祀の象徴的かつ中心的アイテムだったようですが、鏡の登場以前は「銅鐸」がその役割を担っていたという説があります。銅鐸は古代文献に何の説明もない謎の物品ですが、元々はハンドベルがオリジナル品だったというのは通説のようです(先日、淡路島で銅鐸が発見されましたが内部には音を鳴らすための「舌(ぜつ=振り子)」が入っていました。舌が入った状態の銅鐸が確認されたのは全国で初めてだということで、銅鐸が元々ハンドベルだったということはほぼ確実になりました)。
ハンドベルは原始的楽器と言えると思いますが、国津神系三種の神器の一つにもやはり楽器としての「沼琴」が入っているというのは、古代に楽器全般が神聖視されていたということでしょうか。
太古の昔、我が国では楽器つまり「音」というものが神秘的なものと考えられていたのかもしれません。
もっとも、平成の現代人の私であっても楽器の「音」というものは神秘的に艶美的に感じられることがあります。
ということで、皆さんも日本人ならば神聖なる楽器を弾いて、神秘的な音を楽しんでみてください。それこそ「音楽」です。
それで、具体的楽器としては「沼琴」と同属の弦楽器で手軽なウクレレをおすすめします!
え? やっぱり話が強引かなぁ…
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