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ゆっくり歩こう

デッサン4

デッサン4
ご訪問ありがとうございます。

デッサンを一点描いてみました。

双眼鏡です。
鉛筆デッサン双眼鏡サイズ調整





いままで何度か私のデッサンをご紹介しましたが、それらは手持ちの安スキャナで画像取り込みをしていまして、どうも質感が失われて薄っぺらな感じになってしまっていました。
今回はデジカメで撮ってみたらこれが正解でした。この方が元の絵の質感が再現できています。最初からそうすればよかった。

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司馬「関ヶ原」を読んで<9>

司馬「関ヶ原」を読んで<9>
== 三成は成功した ==

ご訪問ありがとうございます。

意外に少し長いシリーズになってしまいました。
このシリーズの最後に「関ヶ原」の最後の一節を抜粋してご紹介したいと思います。この一節にこの小説の全てが凝縮されているようで、しかも味わい深いと思います。損得だけが行動規範となっている世間にも警鐘をならしているように思えてなりません。


如水は首をかしげた。かれが生きてきた経験によると、義・不義は事をおこす名目になっても、世を動かす原理にはならない。
如水のいおうとするところは、すでに豊臣家は世を担ってゆく魅力をうしなっている。秀吉の晩年、もはや大名から庶人にいたるまでその政権のおわることをひそかに望んでいたにもかかわらず、あの男はそれをさらに続かせようとした。すべての無理はそこにある、と如水は言いたかったが、しかし沈黙した。かわりに、
「あの男は、成功した」
といった。ただ一つのことについてである。あの一挙は、故太閤へのなによりもの馳走になったであろう。豊臣政権のほろびにあたって三成などの寵臣までが家康のもとに走って媚びを売ったとなれば、世の姿はくずれ、人はけじめをうしなう。
かつは置き残して行った寵臣からそこまで裏切られれば、秀吉のみじめさは救いがたい。その点からいえば、あの男は十分に成功した、と如水はいうのである。
―― 供養に。
と、懐中のものをそこに置き、あらためて尼の俗名をよんだ。初芽(三成の愛人)、という。しかしそのときには尼の姿はない。
陽が傾き、明かり障子はすでに閉ざされており、西陽に映えたその障子のうえに、姥芽樫の影がうつっている。
如水は、翌日、京を去った。

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