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司馬「関ヶ原」を読んで<7>

司馬「関ヶ原」を読んで<7>
== 石田三成とヤマトタケル ==

ご訪問ありがとうございます。

司馬作品で「関ヶ原」の石田三成と同じく「歳月」の江藤新平が似ている、というか作者がそのように描いているという話題をご紹介しました。
今回「関ヶ原」を再読して気づいたのですが、石田三成は古事記における英雄ヤマトタケルにもかなり似ているようです。

まず三成についてですが、①時の最高権力者である豊臣政権の秀頼の実質的代行として西軍を指揮し、②関東を拠点とする賊である家康を討とうとします。当初、③岐阜の大垣城にいた三成は世の茶人が羨望する名器の茶器である④「芳野」を陣中見舞いに来てくれた親友の商人に譲り、関ヶ原に移動します。そして関ヶ原が合戦場所となり、三成は西北側の⑤伊吹山のふもとに陣取ります。決戦前夜、⑥雨中を各陣所を自ら見回った三成は体調をくずし腹痛と下痢にさいなまれます。早朝から開戦しますが、⑦期待していた大軍の毛利勢や精強の島津勢は働かず、小早川秀秋には裏切られて敗北します。
三成は槍刀の傷は受けてなくとも体調がすぐれず、⑧悲惨な状態で伊吹山を脱出し、豊臣方本拠地である⑨畿内(大阪)を目指しますが、やがて徳川方の田中吉政に捕縛されます。三成は丁重に遇した吉政に④名刀の切刃貞宗を譲ります。三成はその後⑩斬首されました。

一方のヤマトタケルですが、①時の最高権力者である景行天皇の代行として②関東地方の賊を征討しに行きます。その東征の帰路、③尾張の国(尾張国一宮または尾張国府? いずれも大垣城から18kmほど)に寄り、④三種の神器である聖剣の草薙の剣を愛人に託し、⑤伊吹山の荒ぶる神を鎮めに行きますが、⑥雹に見舞われ体力をうしない、⑦草薙の剣を使わずに戦いに挑み、荒ぶる神の怒りを買って負けてしまいます。⑧瀕死のヤマトタケルは⑨畿内(奈良)帰ろうとしますが途中で⑩力尽きて亡くなってしまいます。



どうでしょうか、面白いですよね。
三成は教養があったようですが、この時代の教養としての歴史は中国史であって、日本史が学ばれるようになったのは江戸時代に本居宣長らが「国学」を提唱してからのことですから、この桃山時代には古事記・日本書紀は一般には知られていなかったはずで、ヤマトタケルの話も伊吹山が聖なる山であることも分かっていなかったかもしれません。その聖なる山を戦場に選んで布陣してしまい、ヤマトタケルと同様に荒ぶる神の怒りを買ってしまったのかもしれません。


石田三成もヤマトタケルも日本史と日本神話における超有名人物ですが、意外にも検索してもその類似性を指摘している人はいないようでした。
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