
アマテラスとスサノオ誕生の地「日向」とはどこか?

地図の説明は後述します。
みなさんこんにちは。
突然ですが、日本は立派な空母を2隻保有していることを知っていますか? これを建造をした石川島播磨重工に勤めている私の友人でも知らなかったのですが…
一応「護衛艦」という名称で艦載機はヘリコプターだけとなっていますが、見た目は威風堂々たる空母ですし、第二次大戦中の空母の中型艦くらいの規模はあるらしいです。しかもこのうちの一隻(二番艦)は垂直離陸型戦闘機の搭載・運用も可能なスペックになっているようです。ステルス機で次期主力支援戦闘機に選定されたF35Aは通常離陸型ですが、その派生機で垂直離陸型のF35Bであれば搭載可能みたいです。あきらかにF35Bの搭載を意識した設計に見受けます。
日本がこのような空母を保有することについてはお金もかかるし右傾化とか軍国主義復活とかの批判もあるかと思いますが、隣国の韓国や中国の方が先行して空母の配備を進めているし、それらの母港は対日本を念頭に置いているとしか思えない場所で運用していますので、日本も後追い的に対向して配備せざるを得ないと思います。
さて、また余談から入りましたが、その2隻の空母の艦名が「ひゅうが」と「いずも」という古事記ゆかりの名前なのです。日本を守る艦としてふさわしいし、なんとも粋なネーミングではないでしょうか。
〇アマテラスとスサノオ誕生の地「日向」とはどこか?
この日本を最初に作るために地上に遣わされたのはイザナギとイザナミの夫婦神でしたが、イザナミは国つくりの途中で亡くなってしまいます。嘆き悲しんだイザナギは黄泉の国へ死んだ妻を取り戻しに行きますが、ちょっとしたトラブルから夫婦喧嘩をして地上に逃げ帰ってきます。地上に戻ったイザナギは身に付いた穢れを祓うために禊を行います。このとき生まれたのが姉のアマテラスと弟のスサノオで、その場所こそが「日向」であったといいます。イザナギは、アマテラスには天をスサノオには海を統治するように指示します。
さて、「日向」は古事記では「ヒムカ」と読むらしくその場所は不詳だということですが、その漢字表記から宮崎県の「日向(ヒュウガ)」と考えられているようです。妥当でもっともな説とも思われますが、ちょっと異論を提起したいと思います。
というのも、それから後のエピソードである天孫降臨ではアマテラスの孫であるニニギノミコトが地上統治のために九州の高千穂に降り立ったということになっていまして、日向(ヒュウガ)とは近すぎるからです。現在、高千穂も日向(ヒュウガ)も同じ宮崎県内です。
天孫降臨は、この地上を天皇の祖先が治める第一歩となった大事業でして古事記の中でももっとも重要なエピソードの一つと言っていいと思います。その重要な出来事が、元々アマテラスが生まれた日向(ヒュウガ)と同じ宮崎県内の高千穂だというのは何か不自然だし、「天孫降臨」と呼ぶには大げさな感じがします。少し頑張れば、子供でも自転車で日帰り往復できそうな距離ではないですか。
「天孫降臨」というからには、その場所は今まで天津神たちが全く足を踏み入れたことがないところだと思うのです。そうすると、「日向(ヒムカ)」は宮崎県からはずっと離れた場所でなくてはいけないでしょう。
冒頭の地図をもう一度見てください。
宮崎県の日向(ヒュウガ)は、昔は新婚旅行の定番地であったように、南国で太陽の昇る東の海に向かって広い日南海岸が広がり、いかにも「日に向かう」という名前がピッタリ合う景勝地です。だからこそ「日向」と名づけられたのでしょう。
ところで、このような太陽の昇る東の海に向かって広い海岸が広がる場所で、「日向」と呼んでもよさそうなところが日本にもう一か所あります。地図を見れば明らかだと思いますが、東の鹿島灘です。
古代の日本人にとっては鹿島灘や神栖市は東の果ての地であって、太陽が最も早く昇る場所であり「日向(ヒムカ)」と呼ぶにふさわしかったと思うのです。
この地こそイザナギが禊を行ってアマテラスとスサノオが生まれた土地「日向(ヒムカ)」であったとは考えられないでしょうか?
私は、天津神の住む高天原が茨城県鹿島・神栖地方であったのではないかという説を前回のブログで紹介しました。
アマテラスとスサノオが生まれた「日向(ヒムカ)」が鹿島灘であったとすると、その場所がそのまま高天原として天津神が住むようになったことになり、その後の話が無理なく非常にスムーズにつながるのです。
後の「天孫降臨」の地としてそれまで統治をしたことのない遠い宮崎県高千穂を選定したことも納得できます。きわめて遠い地を新たに統治しようとしたからこそ「国譲り」「天孫降臨」という大事業として古事記に記されることになったのではないでしょうか。
また、イザナギは、アマテラスには高天原を、スサノオには海原を統治するように言い渡します。でもなぜ、「天と地」ではなくて「天と海」だったのでしょうか? 天とはつまり高天原なのですが、前回のブログで紹介した東実説では、高天原は茨城県だったそうです。つまり、鹿島灘に立ってみれば、それは西側ということになります。一方、「海」とはまぎれもなく太平洋でしょうから、「天と海」という区分けは鹿島灘からみれば「西側の陸の世界と東側の海の世界」ということになり、高貴な2神にとって大変バランスのとれた分け方と言えそうです。(この他にも夜を統治するツクヨミという神様がいましたが、この神様はちょっと影が薄い存在なのでここでは触れませんでした。)
北方及び北東に人(神様?)の住むのに適した陸地がたくさんある宮崎県日向(ヒュウガ)では、こういうバランスのよい区分けはできなかったと思います。
さらに、古事記では似たような話が何度か繰り返される特徴がありますが、天孫降臨の後に登場する山幸彦と海幸彦は、高天原(茨城県)を統治したアマテラスと海原(太平洋)を統治したスサノオに対比させることもできそうです。
今回も素人の想像を楽しく書かせてもらいましたが、前回の話の展開に較べると証拠や根拠やらが弱いかもしれません。あくまでも素人の夢想ということで大目にみてやってください。
ということで、日本の空母の艦名は「ひゅうが」ではなくて「ひむか」に改称しましょう!?

地図の説明は後述します。
みなさんこんにちは。
突然ですが、日本は立派な空母を2隻保有していることを知っていますか? これを建造をした石川島播磨重工に勤めている私の友人でも知らなかったのですが…
一応「護衛艦」という名称で艦載機はヘリコプターだけとなっていますが、見た目は威風堂々たる空母ですし、第二次大戦中の空母の中型艦くらいの規模はあるらしいです。しかもこのうちの一隻(二番艦)は垂直離陸型戦闘機の搭載・運用も可能なスペックになっているようです。ステルス機で次期主力支援戦闘機に選定されたF35Aは通常離陸型ですが、その派生機で垂直離陸型のF35Bであれば搭載可能みたいです。あきらかにF35Bの搭載を意識した設計に見受けます。
日本がこのような空母を保有することについてはお金もかかるし右傾化とか軍国主義復活とかの批判もあるかと思いますが、隣国の韓国や中国の方が先行して空母の配備を進めているし、それらの母港は対日本を念頭に置いているとしか思えない場所で運用していますので、日本も後追い的に対向して配備せざるを得ないと思います。
さて、また余談から入りましたが、その2隻の空母の艦名が「ひゅうが」と「いずも」という古事記ゆかりの名前なのです。日本を守る艦としてふさわしいし、なんとも粋なネーミングではないでしょうか。
〇アマテラスとスサノオ誕生の地「日向」とはどこか?
この日本を最初に作るために地上に遣わされたのはイザナギとイザナミの夫婦神でしたが、イザナミは国つくりの途中で亡くなってしまいます。嘆き悲しんだイザナギは黄泉の国へ死んだ妻を取り戻しに行きますが、ちょっとしたトラブルから夫婦喧嘩をして地上に逃げ帰ってきます。地上に戻ったイザナギは身に付いた穢れを祓うために禊を行います。このとき生まれたのが姉のアマテラスと弟のスサノオで、その場所こそが「日向」であったといいます。イザナギは、アマテラスには天をスサノオには海を統治するように指示します。
さて、「日向」は古事記では「ヒムカ」と読むらしくその場所は不詳だということですが、その漢字表記から宮崎県の「日向(ヒュウガ)」と考えられているようです。妥当でもっともな説とも思われますが、ちょっと異論を提起したいと思います。
というのも、それから後のエピソードである天孫降臨ではアマテラスの孫であるニニギノミコトが地上統治のために九州の高千穂に降り立ったということになっていまして、日向(ヒュウガ)とは近すぎるからです。現在、高千穂も日向(ヒュウガ)も同じ宮崎県内です。
天孫降臨は、この地上を天皇の祖先が治める第一歩となった大事業でして古事記の中でももっとも重要なエピソードの一つと言っていいと思います。その重要な出来事が、元々アマテラスが生まれた日向(ヒュウガ)と同じ宮崎県内の高千穂だというのは何か不自然だし、「天孫降臨」と呼ぶには大げさな感じがします。少し頑張れば、子供でも自転車で日帰り往復できそうな距離ではないですか。
「天孫降臨」というからには、その場所は今まで天津神たちが全く足を踏み入れたことがないところだと思うのです。そうすると、「日向(ヒムカ)」は宮崎県からはずっと離れた場所でなくてはいけないでしょう。
冒頭の地図をもう一度見てください。
宮崎県の日向(ヒュウガ)は、昔は新婚旅行の定番地であったように、南国で太陽の昇る東の海に向かって広い日南海岸が広がり、いかにも「日に向かう」という名前がピッタリ合う景勝地です。だからこそ「日向」と名づけられたのでしょう。
ところで、このような太陽の昇る東の海に向かって広い海岸が広がる場所で、「日向」と呼んでもよさそうなところが日本にもう一か所あります。地図を見れば明らかだと思いますが、東の鹿島灘です。
古代の日本人にとっては鹿島灘や神栖市は東の果ての地であって、太陽が最も早く昇る場所であり「日向(ヒムカ)」と呼ぶにふさわしかったと思うのです。
この地こそイザナギが禊を行ってアマテラスとスサノオが生まれた土地「日向(ヒムカ)」であったとは考えられないでしょうか?
私は、天津神の住む高天原が茨城県鹿島・神栖地方であったのではないかという説を前回のブログで紹介しました。
アマテラスとスサノオが生まれた「日向(ヒムカ)」が鹿島灘であったとすると、その場所がそのまま高天原として天津神が住むようになったことになり、その後の話が無理なく非常にスムーズにつながるのです。
後の「天孫降臨」の地としてそれまで統治をしたことのない遠い宮崎県高千穂を選定したことも納得できます。きわめて遠い地を新たに統治しようとしたからこそ「国譲り」「天孫降臨」という大事業として古事記に記されることになったのではないでしょうか。
また、イザナギは、アマテラスには高天原を、スサノオには海原を統治するように言い渡します。でもなぜ、「天と地」ではなくて「天と海」だったのでしょうか? 天とはつまり高天原なのですが、前回のブログで紹介した東実説では、高天原は茨城県だったそうです。つまり、鹿島灘に立ってみれば、それは西側ということになります。一方、「海」とはまぎれもなく太平洋でしょうから、「天と海」という区分けは鹿島灘からみれば「西側の陸の世界と東側の海の世界」ということになり、高貴な2神にとって大変バランスのとれた分け方と言えそうです。(この他にも夜を統治するツクヨミという神様がいましたが、この神様はちょっと影が薄い存在なのでここでは触れませんでした。)
北方及び北東に人(神様?)の住むのに適した陸地がたくさんある宮崎県日向(ヒュウガ)では、こういうバランスのよい区分けはできなかったと思います。
さらに、古事記では似たような話が何度か繰り返される特徴がありますが、天孫降臨の後に登場する山幸彦と海幸彦は、高天原(茨城県)を統治したアマテラスと海原(太平洋)を統治したスサノオに対比させることもできそうです。
今回も素人の想像を楽しく書かせてもらいましたが、前回の話の展開に較べると証拠や根拠やらが弱いかもしれません。あくまでも素人の夢想ということで大目にみてやってください。
ということで、日本の空母の艦名は「ひゅうが」ではなくて「ひむか」に改称しましょう!?
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