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小田原城・石垣山城もライン上にある

小田原城・石垣山城もライン上にある
== 鹿島神宮~富士山レイラインからの考察・その48==

ご訪問ありがとうございます。
一連の鹿島・富士レイラインの考察の第48回目です。
小田原城・石垣山城(広域)

小田原城・石垣山城(狭域)

当ブログでは古代や現代の施設を多く取り上げていますが、今回は中世戦国期の小田原城と石垣山城です。両者ともに神奈川県小田原市にあり前者は北条氏の拠点となっていた難攻不落といわれた巨城で、後者はそれを攻める際に豊臣秀吉が築いた攻略用の城です。
先日、熱戦が繰り広げられた箱根駅伝の第5区のコースはこの両城の中間を通ります。大活躍してMVPに輝いた青山学院大の神野大地くんもここを走りました。
天下をほぼ平定していた秀吉は最後の難関の小田原城に兵力を集中させ、その数20万という大群で包囲します。しかし、秀吉らしく無理はせずに包囲したまま持久戦に持ち込む一方、小田原城を見下ろす石垣山に攻略用の石垣山城を築城します。この築城の際に小田原城側からは工事が見えないように細工し完成した後に覆いを外したので、小田原城からはまるで一夜にして城が出現したように見受けられて戦意喪失したと言われてます。このため石垣山城は一夜城とも呼ばれました。

さて、小田原城から見て冬至の日の入り方向にちょうど石垣山城があります。そしてその延長方向には三嶋大社が存在します。
さらに小田原城は鹿島神宮からみた冬至の日の入り方向にかなり近いです。このラインには相模国二之宮の川匂(かわわ)神社(神奈川県二宮町)もあります。
(厳密にいうと、鹿島神宮を起点とした冬至の日の入り方向は三嶋大社はほぼライン上ですが、小田原城、石垣山城、川匂神社は多少誤差があります)
小田原城を起点として夏至の日の出方向には相模国一之宮の寒川神社があります。(寒川神社というのはあまり聞きなれないのですが、数多い氷川神社と何か関係があるのでしょうか? 名前のイメージが似てますね)
また、石垣山城は富士山頂上からみた立冬の日の出方向にあたります。
石垣山(262m)というのは難攻の小田原城を攻略するのに絶好の高台であり、(日露戦争の旅順要塞攻略における203高地(203m)のようなものかも)ここを抑えることは戦術上当然のことかもしれないのですが、不思議にも富士山からみて立冬日の出方向で、かつ小田原城からみて冬至の日の入り方向となる位置なのです。そして、ご存知の通り小田原攻めは秀吉方の勝利に終わり、北条氏は滅亡するのでした。
秀吉の築城としては京都桃山の伏見城も特殊な場所にあります。伏見城と明治天皇陵は隣接していて、ほとんど同位置といえるのですが、この明治天皇陵についての以前のブログを参照してください


次回は、折角なので秀吉の戦術の特色について私見を簡単にまとめてみたいと思います。
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