fc2ブログ

ゆっくり歩こう

司馬「関ヶ原」を読んで<1>

司馬「関ヶ原」を読んで<1>
== 石田三成と江藤新平 ① ==


ご訪問ありがとうございます。
久しぶりに日本史です。司馬遼太郎の「関ヶ原」と「歳月」の読後感想です。両方とも2回目ですが、読書は2回目以降には前回に気づかなかった点なども見えてきてまた面白いですね。何回かに分けて書いていきますが、初回に気づかず今回分かった事がほとんどです。
司馬作品は本人も認めているように日本史の教科書ではなくてあくまでも「小説」なので、必ずしも史実とは言い切れない部分もあるようで注意も必要ですが、小説だけにメッセージ性はあります。



今回読んだ「関ヶ原」は、題名通り1600年に日本史の大転換点となった西軍(豊臣方)と東軍(徳川方)の大戦争を題材にしたもので、主人公で事実上の豊臣方総大将の石田三成と敵総大将で戦国時代巨頭の徳川家康との攻防を描いたものです。
戦国時代が秀吉によって収束され、時代が少し安定しかけたときに日本を二分する大きな戦いが発生しました。ご存知のようにこの戦いでは西軍はわずか1日で東軍に敗れて石田三成は斬首・梟首され、豊臣家は滅亡へとむかうこととなりました。
一方の「歳月」ですが、こちらは明治維新後の話で、主人公は佐賀藩出身で司法郷(司法大臣)として活躍した江藤新平です。江藤は、長州藩出身で内務卿(外務、軍事、司法以外のほとんどの管轄大臣?)で明治維新巨頭の大久保利通と対立し、佐賀の乱で大久保に滅ぼされ斬首・梟首されました。幕末の戊辰戦争も終わり、新政府による明治維新が進行し始めた時に旧士族による反乱がいくつか発生しましたが、佐賀の乱はそのさきがけとなりました。

「ちょっと似ている?」と思われたでしょうか。そう、久しぶりにこの二書をたまたま続けて読んでみてその類似性に気づいてブログでご紹介してみようと思った次第です。
石田三成は秀吉子飼いで出世した優秀な実務型文官で、秀吉に恩を感じその没後も豊臣家による体制を守るために純粋な忠義の動機から横暴で陰湿な手段で天下を盗もうとする家康に対抗することになりました。
小説の構成上、主人公である三成は正義であり敵方の家康は悪役となっていますが、実際上も概ねそのような構図であったのでしょう。ただ、ハリウッド映画とは異なり単純に正義が勝つわけではなく、この場合は家康が勝利しその後の江戸時代徳川体制への大きな第一歩となったのです。
三成は頭脳明晰で、戦国時代に荒廃してしまった日本において新たに豊臣体制を作り上げる複雑な実務を見事にこなしていました。また、そのような事務的能力だけではなく、朝鮮出兵では秀吉に代わって大軍の渡海移動、補給計画などを完璧にこなしていて、軍務にもたけている面がありました。もっとも、これは総大将としての役ではなくて、戦略でも戦術でもなくて軍務というべきものでした。また、この朝鮮出兵による経験では、戦さというものを日本対朝鮮という大きすぎる視点でとらえてしまい、その経験から関ヶ原でも日本を二分する大きすぎる戦いに発展させ、しかも徳川方を東北の上杉勢とともに本州を広大に使って挟み撃ちにするという無謀な巨大作戦に突き進ませてしまった気もします。戦史を見ていると大きすぎる作戦はうまくいかないようです。

もう一方の「歳月」における江藤新平も三成にかなり似ていると思います。非常に優秀で明治の新しい世の中を法治国家として建国していく気概があって精力的に法整備を進めていました。また、維新の立役者とはいえ薩長(特に長州藩の井上馨など)の横暴は腹に据えかねていて、司法郷の立場から法律に基づいて取り締まろうとしていました。
それが、反長州という姿勢や司法省と内務省における警察管轄の奪い合いなどから江藤と大久保が対立することになってしました。江藤の方は大久保を敵視していたわけではないようですが、反対に大久保は江藤を許せなくなっていたのでしょう。江藤が佐賀藩士にかつがれて佐賀の乱を起こすと、大久保は自ら陣頭指揮にあたってきわめて迅速にこれを平定したのでした。
興味深いのは、大久保は家康を尊敬していて範としていたことです。反対に江藤の方は側近との会話で「封筒というものを発明したのは誰か知っているか?石田三成なのさ。」と語っていることで、おそらく三成に好感を持っていたのでしょう。
くしくも、三成に興味を持っていた江藤は、家康から学んでいた大久保によって葬られたのでした。

「関ヶ原」、「歳月」両作品中では三成の愛人の初芽と江藤の愛人の小録の扱いも似ているように思いました。

(続く)
スポンサーサイト



PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する