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司馬「関ヶ原」を読んで<3>

司馬「関ヶ原」を読んで<3>
== 石田三成と江藤新平 ③ ==

ご訪問ありがとうございます。

三成と江藤について作者による性格描写を「関ヶ原」と「歳月」から抜粋します。

(「関ヶ原」から抜粋)
治部少輔三成は、自己の信念のもっとも強烈な信者といっていい。
―― 自分以外に神をもたぬ。
という点では、信長も秀吉もそうであったが、三成はなおその極端なほうであろう。

(「歳月」から抜粋)
江藤はかつて、
―― 馬鹿ほどきらいなものはない。
と言い、りくつの通らぬ人間をみると、これは人ではないとおもってしまう、と告白しているが、江藤はそうであろう。江藤は、世の中をうごかすものは少数の賢者より多数の、かれのいう馬鹿であるという政治の原理を理解しにくくできており、さらにはかれのいう、馬鹿を理解することはできないということも、江藤はそのあたりだけが空白になっているほどに理解する能力をもっていなかった。されにはかれの論理は法律的論理であり、これについてのかれの年少のころからの友人であり最後には政敵に近い存在になった大隈重信は、
「江藤には非常の才略がある。とくに非常の雄弁をもち、非常の討論家であった」
と、のちかれの類のない能力をたたえたが、そういったあとつねに声を一段ひくめて、「しかし江藤は群集心理というものを知らなかった。ひょっとすると物事の筋の正しさを追うあまり、人間というものの何たるかを見忘れるところがあったかもしれない」といった。



三成も江藤も非常な秀才で、新しい世の中を秩序だったものにすることに取り組んで実績をあげ、そして正しい理にかなった規範で戦いに巻き込まれていきました。そして、巨大だが横暴で不正な徳川勢や長州勢に敗れてしまったのです。理不尽です。
司馬遼太郎は清廉で潔い姿勢に惹かれて三成や江藤を主人公にした小説を書き上げたのでしょうが、世の中はいかに優秀でも自分の能力ときれいごとの意志だけでは成功しないという不条理さも表したかったのでしょう。
家康や大久保が戦いに勝ったのは時代の大きな流れに乗っていたし、その人格に長者の風格と徳のようなものを持っていたという理由がありそうで、敗者の三成と江藤は秀才であるがゆえに全て自分で取り仕切ってしまい周りの人びととの協調性に欠けていたように感じます。



今回は「関ヶ原」と「歳月」を読んでの感想でしたが、同じ司馬作品で「項羽と劉邦」における題名通りの項羽と劉邦や、「国盗り物語」の後半における明智光秀と織田信長や、「義経」における義経と頼朝もとても似た対比構成に感じます。
大変に優秀なのだけれども何かもう一つ器量が狭い人物がライバルに負けてしまうことになってます。
これらの作品では主役級の二人の人物比較が詳細に記されていて、なぜ一方が勝ち他方が負けたのかを考えさせられます。
これだけ同じような構成の小説を書き上げている司馬遼太郎は、世の中では優秀な正しき者が必ずしも報われないというよほど強い思いがあったのかもしれません。もしかしたら、司馬自身が報われていない、あるいは自分の思想が世間に伝わらないというような思いがあったのでしょうか。

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